株式会社島一は、「食の島」と呼ばれる香川県の小豆島に本社を置き、ギフト販売を中心とした「食品卸」を事業の柱にしています。
卸売業にとどまらず、ひと味違うオリジナル商品のプロデュースを展開。お客さまの要望とマーケットニーズを分析し、「食の島」からこころに届く商品の提案をさせていただいている会社です。
文化文政時代に醤油の原料である穀類の販売する商いを始めたことが創業のルーツです。その後、「照下源蔵商店」として醤油の醸造に携わり、商号を「島一醤油」に変更。中四国を代表とする醤油屋となりました。
しかし時代の流れの中、時間をかけて醸造する小豆島の醤油会社は、大量消費時代を牽引する生産大手メーカーに押され、厳しい環境に追い込まれていきました。
そんな中、昭和37年(1962年)に島一醤油も小豆島の大手醤油メーカーと合併。醤油醸造の事業を手放しました。
現会長である3代目照下源藏が昭和39年(1964年)に「島一商会」を設立します。
手袋製造、ビニール加工などを手がける「島一紡績」を起ち上げ、健康をテーマにした製品などを製造しました。
同時に現在の主幹事業となっているそうめん、醤油などの島の特産物の販売を開始。大手百貨店などを販売先に持ち、後にギフト品販売に貢献する太いパイプを築きました。
昭和51年(1976年)、「株式会社島一」へ商号を変更。当時、小豆島に建築鋼材を製造する会社がなく、島での住宅建築は船で資材を運搬するため高値になることを憂い、建築用鉄筋の加工・販売する「島一剛材」を創業します。これにより、鋼材を扱う大手商社や鉄鋼メーカーなど異業種へのコネクションを広げました。
※現在、紡績・鋼材の事業は行っていません
現在、株式会社島一は食品卸売業者としてメーカーと販売店との間に立ち、信頼の絆で「つなぐ役割」を担っています。
代々受け継いできた豊かな情報とコネクションがベースとなった「食品卸」の機能に加え、「販売企画」や「商品開発」などのプロデュースに力を発揮しています。
地域のメーカーや生産者がこだわりをもって創る「品物の良さ」を充分に理解し、それを消費者に「伝える」ための工夫、スーパー・百貨店など売り場にマッチした販売戦略がお客さまに喜ばれています。
市場環境や顧客分析を効果的に活用した
食品の販売およびプロデュースを実施
どんな製品を、誰に届けたいのか、どんな価値を感じてもらいたいか
を念頭に置いた製品戦略、販売戦略を提示します。
島一は経験してきた取り組みや事業を通じ、各地の多彩な販売店、誠実に「ものづくり」に励むメーカー、さまざまな商品情報、販売・物流チャネルを蓄積しています。
「人として」の姿勢を重んじ、各方面の担当者と信頼関係を築いてきました。生産、販売の双方から、さまざまな相談を持ちかけられることが多く、それに応える力が島一にはあります。
活用してもらいたい島一の「強み」
島一には、持続可能な「ものづくり」に取り組む生産者を応援し、地域を元気にしたいという強い「思い」があります。真摯にものづくりに携わる生産者は人間的にも魅力があります。
常に「地域の活性化」を優先し、人を大切に、環境に優しく健康に良いものを提供したいと考えています。
香川県小豆島は、古くから海上輸送の強みを生かした食品産業が盛んで、そうめん、醤油は400年以上の歴史があります。佃煮は醤油の二次産業として発生。日本で初めて栽培されたオリーブを始め、農産、水産、畜産と全てが揃っています。島に根づき、良い品物を創るために日々努力している生産者のこだわりや思いに寄り添い、「製品のストーリー」をきちんと「伝える」こと。それが島一の使命と考え、小豆島からトレンドを発信しています。
「地域の発展なくして企業の発展なし」
これは株式会社島一に代々受け継がれてきた言葉です。
商品を売るだけでなく、日本各地にある伝統や代々受け継がれてきた知恵や徳を大切にすることを考えてきました。
島一には、お客さまの困りごとや相談を解決するために、頭をひねり、東奔西走。地域にものやサービスがないときには起業までしてきた歴史があります。
0から1を生み出すのが得意な会長・照下源蔵に続き、1を10へ100へと拡大させることが得意である照下敦士が、平成23年に代表取締役社長に着任しました。
構築してきたネットワークの強化と取引先とのパートナーシップを大切に守り、売り手よし、買い手よし、世間よし の「三方よし」の精神で事業拡充に尽力して参ります。